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62年と3日の生涯
ウィトゲンシュタイン
Ludwig Wittgenstein 【20世紀の最も重要な哲学者】
(1889.04.26〜1951.04.29)
前立腺癌---牡牛座
(2006.03.21更新)
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▲哲学の根本問題、すなわち世界の可能性の限界は画定できるか、という問題に挑んだウィトゲンシュタイン。哲学者にしておくのはもったいないほどの二枚目だ。
★ウィトゲンシュタイン語録
★
◆所見(ベメルクング)-1
「透明な赤や緑はありうるが、透明な白はありえない」
(色彩につて)
◆所見(ベメルクング)-2
「感情によって思考が彩られることはあっても、感覚によって思考が彩られることはない」。
◆「虚栄心を捨て去りたい、と私が言うとき、またもやそれを単なる虚栄心から言おうとしているのではないとは言い切れない」
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62年と7日の生涯
高坂 正堯
Masataka Kousaka 【『現実主義者の平和論』】
(1934.05.08〜1996.05.15)
肝臓癌---牡牛座
(2009.04.04更新)
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▲良識派保守知識人として外交から文明まで幅広く論じた高坂 正堯。

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62年と8日の生涯
堺 利彦
Toshihiko Sakai 【『共産党宣言』の初の翻訳者】
(1871.01.15〜1933.01.23=明治3年11月25日〜昭和8年)
死因?---山羊座
(2005.09.15掲載)
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▲数多くの翻訳を通じて、欧米の社会主義事情、社会主義思想やロシア革命の動向、ユートピア文学をはじめとする西洋文学の紹介につとめた堺利彦。
◆溶岩を積み重ねた台座に平板な墓碑が建つ「堺利彦之墓」(三宅雪嶺の筆)
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62年と13日の生涯
マルグリット・ド・ヴァロワ
Marguerite de Valois 【王妃マルゴ】
(1553.05.14〜1615.05.27)
死因?---牡牛座
(2006.08.28更新)
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▲王妃マルゴ(La Reine Margot)と呼ばれ、アレクサンドル・デュマ・ペールの同名の歴史小説のヒロインであるマルグリット・ド・ヴァロワ。
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62年と16日の生涯
千葉 周作
Syuusaku Chiba 【幕末三大剣客の一人】
(1794.01.01 〜1856.01.17=寛政6年〜 安政2年12月10日)
死因?---山羊座
(2006.02.15掲載)
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▲江戸時代の剣術の流派北辰一刀流剣術の創始者で、千葉道場の総師範・千葉 周作。
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62年と16日の生涯
チェスタートン
Chesterton, Gilbert Keith 【名探偵ブラウン神父の生みの親】
(1874.05.29〜1936.06.14)
死因?---双子座
(2005.10.19掲載)
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▲死の直前まで書き続けられた51篇から成る著者の代表作『ブラウン神父』シリーズで知られるギルバート・キース・チェスタートン
。
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62年1ヶ月ジャストの生涯
与謝野鉄幹
Tekkan Yosano 【鬼に喰われた男】
(1873.02.26〜1935.03.26)
死因?---魚座
(2006.05.04更新)
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▲歌人、詩人で與謝野晶子の夫・与謝野鉄幹。

★鉄幹の歌★
◆「妻をめとらば才たけて 顔(みめ)うるはしくなさけある」
◆「〈忠義には猶(なお)かへがたし あっぱれ手柄したぞ〉とは あ々あ々人を殺せよと えせ聖人のをしえかな」
◆「大名牟遅少那彦名(おおなむちすくなひこな)のいにしへもすぐれて好きは人妬みけり」---折口信夫が激賞した。
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62年1ヶ月と1日の生涯
ミハエル・バクーニン
Mikhail Bakunin 【ロシアのアナーキズム革命家 】
(1814.05.30〜1876.07.01)
不遇のうちにベルンで客死---双子座
(2005.01.27更新)
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▲近代アナキズム運動・思想の中心人物・ミハイル・バクーニン。
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62年1ヶ月と4日の生涯
根上 淳
Jun Negami 【ペギー葉山の夫】
(1923.09.20〜2005.10.24 PM:03.54)
脳梗塞---乙女座
(2005.12.02掲載)
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▲映画、テレビで活躍した二枚目俳優で、歌手ペギー葉山さんとのおしどり夫婦でも知られた根上 淳。

◆妻のペギーさん(左)とは、芸能界でも指折りのおしどり夫婦として知られた根上さん
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62年1ヶ月と11日の生涯
カール・セーガン
Carl Edward Sagan 【米国の天文学者・SF作家】
(1934.11.09〜1996.12.20)
死因?---蠍座
- 米国の天文学者、SF作家。米国の宇宙探査計画、市民への啓蒙活動で多大な貢献。
- ニューヨーク州イサカにあるコーネル大学の放射線物理学・宇宙探査研究所、天文学准教授。文学士および理学士号、物理学修士号、天文学および天体物理学博士号をすべてシカゴ大学で取得。その後カリフォルニア州立大学バークレイ校、スタンフォード大学医学部(遺伝学助教授)、ハーバード大学やスミソニアン天体物理観測所などで教授。
- 研究は、惑星の大気、地表の物理的、化学的反応、地球の生物の起源、エクソバイオロジーなど。金星表面が非常に高熱なことや、火星の地表の標高差が大きいことなどを発見に導いた研究で主要な役割を果たした。木星での有機物質の発見を期待している。
- 連邦航空宇宙局や全米科学アカデミーをはじめ様々な国内の顧問機関や、宇宙研究会議や国際天文学連合などの海外の機関でも活躍。米空軍科学諮問委員会でプロジェクトブルーブックを再審するメンバーにも選ばれている。
- 1964年にハーバード大学からスミス賞、1968年にはオレゴン州にて“Condon Lecturer”を受賞。百を超える論文に加えブリタニカ百科事典に論説を寄稿。“The
Atmospheres of Mars and Venus, 1961”(火星と金星の大気)、“Planets, 1966”(惑星)
、“Intelligent Life in the Universe, 1966”(宇宙における生命)を共著。
- 他の多くの天文学者と同じくUFO地球外仮説には批判的だ。
¶:出典・情報源・参考文献・参考サイト:
(1)
(2003.12.01掲載)
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▲米国の天文学者、SF作家・カール・セーガン。
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62年1ヶ月と25日の生涯
ジャン・フーリエ
Jean・B・J・Fourier 【フーリエ級数の提案者】
(1768.03.21〜1830.05.16)
死因?---牡羊座
(2004.12.14更新)
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▲フランスの数学者・物理学者・ジャン・フーリエ。
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62年2ヶ月と2日の生涯
アルフレッド・C・キンゼイ
Alfred C Kinsey 【性革命の研究者】
(1894.06.23〜1956.08.25)
心不全---蟹座
(2006.10.28更新)
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▲ベストセラーとなった“キンゼイ・レポート”で、性がタブーだった時代にアメリカ人の性の実態を明らかにし、1960年代に起こる性革命のきっかを作ったアルフレッド・チャールズ・キンゼイ。

◆映画『愛についてのキンゼイ・レポート』より
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62年2ヶ月と7日の生涯
アブラハム・マズロー
Maslow, Abraham 【人間性心理学の創始者】
(1908.04.01〜1970.06.08)
心臓発作---牡羊座
(2005.12.09更新)
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▲自己実現、創造性、価値、美、至高経験、倫理など、従来の心理学が避けてきた、より人間的なものの研究に道を開き発達心理学に貢献したアメリカの心理学者アブラハム・マズロー。
◆「自己実現:マズローは、創造性は彼が研究した自己実現する人間の全員に見られる普遍的な特徴であることを見出した。
01-現実をより有効に知覚し、それとより快適な関係を保つ。
02-「自己、他者、自然に対して受容的態度」をとる。つまり、すべてのものをあるがままとしてそのまま受け止める。
03-「自発性、単純さ、自然さ」を持つ。
04-自己中心的ではなく「課題中心的」である。
05-「孤独、プライバシーを好み、欠乏や不運に対して超然」。
06-「文化や環境からの独立」し、意志をもった能動的人間である。
07-認識が絶えず新鮮である。
08-神秘的経験-至高体験を持つ。
09-「共同社会感情」を持つ。
10-「心の広い、深い対人関係」を持つ。
11-「民主的性格構造」を持つ。
12-「手段と目的の区別、善悪の区別」が判断できる。
13-「哲学的で悪意のないユーモアのセンス」を持つ。
14-「創造性」を持つ。
15-「文化に組み込まれることに抵抗し、文化を超越」する。
以上(2)より抜粋。
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62年2ヶ月と16日の生涯
円山応挙
Oukyo Maruyama 【写生の冒険者・自然美の伝達者】
(1733.05.01〜1795.07.17)
健康を害し歩行困難になり、眼病にも罹る---牡牛座
(2004.01.24更新)
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▲江戸中期の画家で円山派の始祖・円山応挙。
▲重要文化財「牡丹孔雀図」(部分)
明和8年(1771) 萬野美術館蔵

▲「幽霊図(お雪の幻)」(部分) 安永期 個人蔵(カリフォルニア大学バークレー美術館寄託)
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62年2ヶ月と18日の生涯
---2006年没後50年
宮城道雄
Michio Miyagi 【十七弦・八十弦などの楽器の考案者】
(1894.04.07〜1956.06.25)
列車から転落死---牡羊座
- 『春の海』で知られる地歌・箏曲家、作曲家、随筆家。神戸生れ。
- 8歳で失明し、2世および3世中島検校に師事。13歳、朝鮮(現,韓国)の仁川に移住。
- 23歳で上京。以後?原しげるらとともに新しい箏曲の作曲を始め、尺八の吉田晴風らとともに「新日本音楽」の運動を興し、洋楽をとり入れた新傾向の邦楽を発表。
- 主要作品は『水の変態』『春の海』『越天楽変奏曲』など。随筆家としても知られた。
- 38歳、東京音楽学校教授。54歳、芸術院会員。列車から転落して不慮の事故死を遂げた。
- 後継者の宮城喜代子〔1905-1991〕はその夫人の姪で、のちに養女。
- 「近代邦楽の基礎を築いた箏曲家で、アジアの伝統音楽や欧米のクラシック(バッハの「シャコンヌ」など)の要素を邦楽に取り込み、邦楽の新しい在り方を提示した」(1)。
- 「初めて『春の海』を弾いたとき、繊細で緻密な音作りとダイナミックな曲想が、むしろ西欧的と感じた」(2)。
- ボクと十七弦・八十弦などの楽器の考案した宮城道雄とは、小さな縁で結ばれている。それは此処では書けないがボクの胸にしまっておこう。
(2006.06.06更新)
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▲『春の海』で知られる地歌・箏曲家、作曲家、随筆家・宮城道雄。

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62年3ヶ月と19日の生涯
荻野 吟子
Ginko Ogino 【近代日本初の公許女医】
(1851.04.04〜1913.06.23=嘉永4年3月3日〜大正2年)
肋膜炎にかかり、ついで脳動脈硬化により逝去---牡羊座
(2009.02.24更新)
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▲女性運動家としても知られ、近代日本における最初の女性の医師である荻野 吟子。
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62年3ヶ月と3日の生涯
松岡利勝
Toshikatsu Matsuoka 【西の松岡、東のムネオ】
(1945.02.25〜2007.05.28=昭和20年〜平成19年)
自殺---魚座
(2007.06.03掲載)
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▲安倍内閣で農林水産大臣を務めた自由民主党所属の衆議院議員・松岡利勝。

◆自殺を図り、慶応大学病院に運び込まれる松岡農相(中央、救急隊員の下)=28日午後1時15分、東京都新宿区で(高橋謙太撮影)
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62年3ヶ月と7日の生涯
キスリング
Morse Kisling 【モンパルナスの帝王】
(1891.01.22〜1953.04.29)
死因?---水瓶座
(2004.01.25更新)
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▲フランスの エコール・ド・パリの画家・キスリング。
▲「モンパルナスのキキ」 キスリング 1925年 油彩・キャンパス
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62年3ヶ月と8日の生涯
マルティン・ルター/ルーテル
Martin Luther 【宗教改革の先駆者】
(1483.11.10〜1546.02.18)
死因?---蠍座
- ルターは1483年に鉱山業に従事していた父ハンス・ルダーと母マルガレータの次男としてドイツのザクセン地方の小村アイスレーベンで生まれた。
- 洗礼を受けた日がトゥールのマルティヌスの祝日であったため、彼にちなんでマルティンと名づけられた。もともと農夫から身を起こした父は上昇志向が強く、子供たちにもさらに上を目指すよう常に要求していた。
- 教育において時に厳格をきわめた父の姿は、後のルターが冷酷で厳格な神というイメージを持つ上に当たって強い影響を及ぼすことになる。父の願いに沿う形でルターは勉学に取り組んだ。初めはマンスフェルトで、次いでマグデブルクに学び、法律家になるべく1501年にエルフルト大学に入った。
- エルフルト大学で法学を学んだのちアウグスティヌス会士となる。24歳司祭、29歳ウィッテンベルク大学神学教授。
- 苦闘の末、己が意志をこえたキリストの愛の現存に目を開かれ、善行によらず「信仰のみ」で救われるとの確信に到達、34歳贖宥状(免罪符)を批判。これが宗教改革の口火となる。
- 38歳、ウォルムス国会で追放刑を宣告され,選帝侯フリードリヒの庇護のもとワルトブルク城にのがれて新約聖書のドイツ語訳(39歳)に従事した。
- ローマ教会との論争の間に、万人祭司主義、聖書主義(聖書を至上とする)、信仰のみによって義とされるなどの基本思想を整え、新たな教会組織「ルター派教会」の形成に努力した。
- ドイツ農民戦争には急進派のミュンツァーらとは対立、また聖餐論ではツウィングリとの一致をみなかった。
- 著作には『キリスト者の自由』(37歳)、『奴隷的意志について』(42歳)、『ルター大小教理問答』(46歳)などのほか多くの聖書講解がある。
- 「たまさん マルティン・ルターの最後の言葉をお供えします。博士ヨーナスが〈神父よ、イエス・キリストにすがり、つねづね教えてこられた教義を口にしながら死んで行きたいか〉とたずねられた時、〈しかり〉と。---クロード・アヴリーヌ著「人間最後の言葉」より」(1)。
¶:出典・情報源・参考文献・参考サイト:
(1)投稿者:ユリウスさん..2007/ 9/23 18:30:13(日) [2384]
(2007.09.24更新)
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▲ドイツの宗教改革者、宗教改革の先駆者マルティン・ルター。

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62年3ヶ月と21日の生涯
吉田 鉄郎
Tetsurou Yoshida 【モダニズムの傑作】
(1894.05.18〜1956.09.08=明治27〜昭和31)
脳腫瘍--牡牛座
- 富山県出身。旧姓は五島。旧制四高を経て、1919年東京帝国大学建築学科を卒業。逓信省営繕課に入った。逓信建築設計にたずさわり、日本近代建築に大きな足跡を残した。
- 逓信省には同時期に山田守らの俊英が在籍していた。初期はドイツ表現主義やエストベリなど北欧建築の影響を受け、後にモダニズム建築の傑作を生み出した。ブルーノ・タウトが来日した際は桂離宮など各地を案内した。タウトは吉田の設計した東京中央郵便局を、モダニズムの傑作と讃えた。
- 第二次世界大戦中は故郷に戻り、終戦後、日本大学で教壇に立った。病気のため、辞任。脳腫瘍に侵され寝たきり状態の中、『Der japanische Garten』『スウェーデンの建築家』などを口述で著した。
- 著作にドイツ語で日本建築を海外に紹介した「日本建築」「日本の住宅」「日本の庭園」の独文三部作がある。 '53日本建築学会賞。享年62歳。
- ドアノブに触れないほど神経質であり、常に消毒液を持ち歩いていたという。
- 墓所の設計者は、吉田と同じく逓信省で活動し、郵政省大臣官房建築部長、丸ノ内建築事務所初代所長などを務めた建築家の小坂秀雄(1912〜2000)がデザインしたものである。
- 代表作
京都中央電話局上京分局(1924年) 現・カーニバル・タイムズ
京都中央電話局(1926年) 現・新風館
東京中央郵便局(1931年)
大阪中央郵便局(1939年)
- 東京中央郵便局と大阪中央郵便局の保存問題をめぐる動きがあわただしくなっているらしい。両建物ともオフィスビルの先駆け的存在で、近代主義建築をリードした吉田鉄郎の代表作だが〈機能主義ならば機能が終われば、その存在も終わるべきだ〉というつれない指摘さえあるという。
- 21世紀のキーワードは「保存」ではなく「レガシー」である。
¶:出典・情報源・参考文献・参考サイト:
「吉田鉄郎-Wikipedia」
(2009.03.01掲載)
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62年3ヶ月と21日の生涯
いずみたく
Taku Izumi 【「見上げてごらん夜の星を」の作曲者】
(1930.01.20〜1992.05.11)
大腸がん/肝不全--山羊座
- 作曲家。本名今泉隆雄。東京に生まれる。昭和21年、鎌倉アカデミア演劇科入学。昭和25年、舞台芸術学院演劇科卒業。
- 昭和27年、うたごえ運動に参加。若い頃、演劇を学び仲間と劇団を結成、戦後荒涼とした日本全国へ巡回活動をする。以後、音楽の世界に入り作曲家としてデビュー。
- 昭和30年、朝日放送ホームソングコンクール・グランプリ受賞。CM音楽及び映画・ラジオ・テレビの劇音楽を多数作曲、かたわらミュージカル創作に意欲をもやす。CM音楽、現在までに2000曲以上作曲。受賞多数。昭和38年、レコード大賞各賞受賞。
- 数多くの名曲を生み出し、日本レコード大賞をはじめ数々の賞を総ナメにする。又、日本の創作ミュージカルの先駆者として活躍。
- 永六輔氏と組んで作り上げた「見上げてごらん夜の星を」はその初期の作品であり、主題曲は日本のみならず、世界においてもスタンダードとして歌いつがれている。
- 代表曲として「見上げてごらん夜の星を」「夜明けのうた」「世界は二人のために」「いいじゃないの幸せならば」「にほんのうたシリーズ」「希望」「恋の季節」その他「夜明けのスキャット」「太陽がくれた季節」「帰らざる日のために」「ふれあい」「手のひらを太陽に」等ミリオンセラー多数。
¶:出典・情報源・参考文献・参考サイト:
(2006.05.01更新)
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▲「見上げてごらん夜の星を」をはじめ数多くの名曲を生み出し、日本レコード大賞をはじめ数々の賞を総ナメにした、いずみたく。
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62年3ヶ月と30日の生涯
サンダー杉山
Tsuneharu Sugiyama 【必殺技:雷電ドロップ】
(1940.07.23〜 2002.11.22)
心不全---獅子座
- サンダー杉山のリングネームでの活躍で知られるプロレスラー。新潟県糸魚川市出身。身長178cm、体重125kg(現役当時)。本名杉山恒治。現役引退後はタレント活動の他、実業家としても成功していた。
- 東海高校から同志社大学に入学し柔道部に所属していたが、アマレスの普及に尽力していた日本アマチュアレスリング協会の八田一朗会長に見込まれ明治大学アマチュアレスリング部に移籍。
- 明治大レスリング部時代にヘビー級の選手として全日本学生、全日本選手権を制覇して東京オリンピックに出場。
- 1965年にアマレスのエリートとして日本プロレスに入団し斎藤昌典(現・マサ斉藤)、グレート草津と共に「三羽烏」と称された。
- 1966年3月4日に本間和夫戦でプロレスデビューを果たしたが、新団体の国際プロレス旗揚げに参加する為、同年の夏にグレート草津と共に移籍した。
- 国際プロレスで必殺技の雷電ドロップを武器に日本人として初めてビル・ロビンソンを破ってIWA世界ヘビー級王座を獲得するなど看板選手として活躍し、1972年には全日本プロレスに移籍。
- 1973年に一度現役を退くが、1976年古巣の国際に復帰して、1978年から新日本プロレスにも参戦した。
- 現役引退後は『おはよう!こどもショー』に出演するなどタレント活動の後、名古屋で「サンダー杉山コーポレーション」を創立し、飲食業や自動販売機設置などの経営者として実業界でも成功した。また全日本プロレスは名古屋興行の際に選手の宿舎として杉山経営のホテルを利用していた時期もあった。
- しかし、現役時代から患っていた持病の糖尿病が悪化し、肝臓病や胃がんも併発。入退院を繰り返すようになり、両足切断にも追い込まれた。しかし病室からメールで業務指示を出し、ビジネスへの情熱は最後まで衰えることはなかった。2002年11月22日に入院中の病院で心不全により死去。享年62。
- 丸っこい体格から繰り出す雷電ドロップの印象が強く、パワフルでユーモラスなファイトスタイルと捉えられることが多いが、アマレスで鍛えた素地は非常に高いレベルにあったといわれ、ビル・ロビンソンも好敵手の一人として杉山の名を挙げている。
- 得意技:雷電ドロップ(ヒップドロップ)!
¶:出典・情報源・参考文献・参考サイト:
「サンダー杉山-Wikipedia」
(2007.01.19掲載)
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▲丸っこい体格から繰り出す雷電ドロップの印象が強く、パワフルでユーモラスなファイトスタイルと捉えられることが多いが、アマレスで鍛えた素地は非常に高いレベルにあったといわれ、ビル・ロビンソンも好敵手の一人として杉山の名を挙げているサンダー杉山。

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62年4ヶ月ジャストの生涯
岡本 一平
Ippei Okamoto 【漫画家、作詞家】
(1886.06.11〜 1948.10.11=明治19年〜昭和23)
脳内出血 双子座
- 書家の岡本可亭の息子として北海道函館市元町に生まれる。
- 東京・大手町の商工中学校から東京美術学校西洋画科に進学し、藤島武二に師事する。この時美術学校の同級生の仲介で大貫カノと知り合い、後に和田英作の媒酌で2人は結婚するが岡本家に受け入れられず2人だけで新居を構えた。
- 1910年に美術学校を卒業し帝国劇場で舞台芸術の仕事に関わった後、夏目漱石から漫画の腕を買われて1912年に朝日新聞社に紹介されて入社し、漫画記者となる。
- 朝日新聞を中心に新聞や雑誌で漫画に解説文を添えた漫画漫文という独自のスタイルを築き、大正から昭和戦前にかけて一時代を画し、美術学校時代の同級である読売新聞社の近藤浩一路とともに「一平・浩一路時代」と評された。
- 1929年〜1932年にかけてヨーロッパを旅して漫画漫文集「世界漫遊」をものした。また「一平塾」という漫画家養成の私塾を主宰、近藤日出造や杉浦幸雄・清水崑を育てた。
- 後年は小説にも進出。中でも「刀を抜いて」は映画化・舞台化が実現、岡本小説の中でもっとも知名度・評価が高い。
- 映画は1929年から戦前3度、戦後も1963年マキノ雅弘監督・坂本九主演で東映が配給。
- 舞台については宝塚歌劇団が舞台化したものが著名。
- 私生活では前述・大貫(岡本かの子)と初婚、画家岡本太郎(長男)ら3人(次男・長女は夭折)の子をもうけたが、かの子が不倫を繰り返し、果ては不倫相手の医師を一平・太郎らと同居させる”奇妙な夫婦生活”を送るも、仏教研究・小説執筆などに進出したかの子をよくサポートし、画家志望を本格化させていた太郎を応援、1939年2月のかの子急病死まで変わらぬ夫婦生活をまっとうした。
- かの子の死後2年経った1941年1月、一般人女性の山本八重子と再婚。太郎とは異母兄弟にあたる4人の子(いづみ(二女)・和光(三男)・おとは(三女)・みやこ(四女)を授かるが、戦中は言論・表現の統制、戦後は漫画・小説の流行の変化の波にのれず不遇だった。1948年、脳内出血で逝去。
- 俳優の池部良は甥である。
- 作詞家としても活動し、1940年(昭和15年)発売の「隣組」は戦時下にも関わらず、ユーモアのある歌詞で親しまれた。
- 1929年に全国高等学校野球選手権大会の取材で阪神甲子園球場に来ていた岡本は、観客の着衣でスタンドが白く映え上がって見えたことを「ソノスタンドハマタ素敵ニ高ク見エル、アルプススタンドダ、上ノ方ニハ万年雪ガアリサウダ」とイラストつきで朝日新聞に掲載。このことから「アルプススタンド」の名前がついた。
- 弟子:近藤日出造、杉浦幸雄、清水崑、宮尾しげを、矢崎茂四、小山内宏、旭正秀
- 「大正から昭和にかけて、主に新聞や雑誌で漫画に解説文を添えた「漫画漫文」という独自のスタイルを築いて大活躍した漫画家です。当時は、総理大臣の名前は知らなくとも、岡本一平の名を知らぬ者はいないといわれたほどの人気でした。
また岡本家は、父親が書家・岡本竹次郎、妻が小説家・岡本かの子、長男が画家・岡本太郎という芸術一家としても知られています。しかし、一平が函館出身ということはあまり知られていません。汐見町(現・元町)で生まれ、3歳までを函館で過ごしました。父親の竹次郎は、先立つこと明治17年、函館にやってきてました。函館師範学校で書記などを勤めていたところ、良縁に恵まれ、長男一平が誕生したのです」(1)。
- 「かの子の才能を認めて世に出し、太郎をパリに留学させ、川端康成が「聖家族」と呼んだ芸術一家の要として生きた」(2)。
- 「1946年3月、一平は俳句でも川柳でもない「漫排」という新しい短詩形の文芸を提唱する。---俳句における季語などの約束事を廃し、川柳の風刺や嫌みを避けて生活を自由に表現する排を思いついたのだった。---「お粥腹減らさぬように笑わそう」が一平による漫排の第一句という」(3)。
- 一平は入浴中に突然倒れ、そのまま息を引き取ったという。
¶:出典・情報源・参考文献・参考サイト:
「岡本一平-Wikipedia」
(1)「岡本一平」
(2)(3)日経新聞2008.08.08朝刊「文化」(黒野こうき)より抜粋、リライト。
(2008.09.09掲載)
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▲かの子の才能を認めて世に出し、太郎をパリに留学させ、川端康成が「聖家族」と呼んだ芸術一家の要として生きた岡本 一平。
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62年4ヶ月と11日の生涯
香月泰男
Yasuo Kazuki 【シベリアの鎮魂歌】
(1911.10.25〜1974.03.08)
心筋梗塞---蠍座
- 山口県大津郡三隅町(現・長門市)出身の画家。山口県に開業医の息子として生まれるも、幼い頃両親が離婚。厳格な祖父に育てられる。
- 山口県立大津中学校(現・山口県立大津高等学校)卒業後、川端美術学校を経て1931年に東京美術学校に入学、藤島武二の教室に学ぶ。
- 1936年、美術学校卒業後、北海道庁立倶知安中学校(現・北海道倶知安高等学校)の美術科教師として着任。その後、山口県立下関高等女学校(現・山口県立下関南高等学校)に転任する。
- 1942年、太平洋戦争勃発により召集を受け、兵として満州へ。
- 1945年、ソ連に抑留され、シベリア、クラスノヤルスク地区のセーヤ収容所で強制労働に従事。これが原体験となり、その後の作品全体の主題・背景となる。
- 1947年、シベリア抑留から引き揚げ、下関高等女学校へ復職。
- 1948年、郷里の三隅へ戻り、山口県立深川高等女学校(後に大津中学校と統合、現大津高等学校)に転任。
- 1960年、大津高等学校を依願退職。その後しばらくは創作活動に専念していたが、1966年に九州産業大学に新設された芸術学部油絵科の主任教授を委嘱される。
- 1969年、「シベリア・シリーズ」で第1回日本芸術大賞を受賞。
- 1974年、心筋梗塞にて死去。
- 没後、遺族によりシベリア・シリーズ57点のうち45点を山口県へ寄贈、残り8点が山口県に寄託され、1979年開館の山口県立美術館に展示されている。
- 香月は、創作活動のほとんどを「<私の>地球」と語った三隅町の自宅で行っていた。その香月の功績をたたえる目的で、1993年(平成5年)10月26日に、生家に近い三隅町湯免に三隅町立香月美術館として開館。2005年に三隅町の合併により香月泰男美術館に改名の上、長門市に運営が移管された。最晩年まで香月の手元にあった作品や、香月のアトリエ(復元)などが展示されている。
- なお、香月泰男美術館ではシベリア・シリーズの一部について常設展示を県に希望しているが、専属の学芸員が館にいないことを理由とし山口県が難色を示しており、完成作の展示が出来ない(原画のみが展示されている)。
- また画作の一方で、油絵の作品の他、晩年は海外での風景作品や身の回りの針金、空き缶などを再利用して製作した子どものためのおもちゃが複数あり、これらも同様に展示されている。
- 定期的に「<私の>○○展」という企画展を開催しているほか、小中学生を対象とした絵画コンクール「香月泰男ジュニア大賞絵画展」を主催している。
- 住所:山口県長門市三隅中湯免226番地
アクセス:防長交通バス「湯免温泉」バス停より徒歩2分、JR山陰本線・長門三隅駅からタクシーで5分。
¶:出典・情報源・参考文献・参考サイト:
「香月泰男-Wikipedia」
(2007.09.18更新)
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▲1945年、ソ連に抑留され、シベリア、クラスノヤルスク地区のセーヤ収容所で強制労働に従事。これが原体験となり、その後の作品全体の主題・背景となった画家・香月泰男。

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62年4ヶ月と14日の生涯
フーゴ・グロチウス
Hugo Grotius 【近代自然法の父/国際法の祖】
(1583.04.10〜1645.08.28)
病没---牡羊座
(2005.04.07掲載)
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▲自然法哲学者として、「自然道徳」と国の「社会契約」理論の創始者とされるフーゴ・グロチウス。

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62年4ヶ月と16日の生涯
ムハンマド/マホメット
Muhammad / Mahomet / Mohammed 【イスラムの開祖】
(570.01.23〜632.06.08)
死因?---水瓶座
- 預言者、イスラムの開祖。日本ではマホメットとも。アブラハム、モーセ、イエスに続く最後の預言者とされる。
- カーバ神殿のあるアラビア半島の町メッカのクライシュ族の名門ハーシム家に生まれるが、誕生前に父を、幼時に母を失う。
- 25歳ころ、富裕な未亡人ハディージャと結婚。40歳ころ、初めて神アッラーの啓示を聞き、これを説いて信徒集団を形成し始める。しかしカーバの偶像崇拝を否定し大商人を批判したため迫害され、52歳、70余名の信徒とその家族とともにメディナに移住(ヒジュラ)し、イスラムの教団国家を建設。
- 初めその地のユダヤ教の儀礼を取り入れるが、のちユダヤ教徒と対立、独立のイスラム儀礼を確立していく。一方、対立を続けていたメッカと再三戦い、60歳でメッカを征服。周辺諸部族やキリスト教徒、ユダヤ教徒に勢力を広げてアラビア半島全土に影響力を及ぼす。
- 632年メッカに巡礼し、メディナに戻って死去。ハディージャとの末娘はファーティマ。
- ムハンマドに下された神の啓示の集成がコーランであり、彼の言行「スンナ」およびその伝承「ハディース」も重視される。
- 「早くから孤児となり、まず祖父、ついで祖母に育てられ、商人になって、のちに出資者のハディージャと結婚する。こうした商人的環境に育ったので、彼の受けた天啓を記述した教典『クルアーン』(コーラン)には商業用語を使った比喩が目立つ」(1)。
- 「デンマークの新聞が掲載した「ムハンマド風刺画」問題をめぐって新聞やテレビが一斉に「マホメット」ではなく「ムハンマド」と記すようになった---」(2)。
- 「たまさん マホメットの最後の言葉をお供えします。
〈神よ、死と戦うときにはわたくしと共にいてくださいますように〉〈おおアラーの神よ! 天国の輝かしい住人たちのあいだで−そのようでありますように!〉」(3)。
- メディナ時代には10人を超える妻がいたという。羨ましいというべきか、ごくろうさまというべきか。
¶:出典・情報源・参考文献・参考サイト:
(1)湯浅赳男著『世界の哲学・思想のすべて』より抜粋。
(2)読売新聞2006.03.15夕刊 池内恵「水曜時計」より抜粋・リライト。
(2007.09.18更新)
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▲アブラハム、モーセ、イエスに続く最後の預言者とされるマホメット。
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62年4ヶ月と19日の生涯
ジョセフ・ジャクソン
Joseph Jefferson Jackson 【シューレス・ジョー】
(1889.07.16〜1951.12.05)
心臓発作---蟹座
(2007.09.29掲載)
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▲1910年代のアメリカメジャーリーグの外野手ジョセフ・ジェファーソン・ジャクソン。

◆タイ・カッブ(左)とジョー・ジャクソン。
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62年5ヶ月と5日の生涯
和田 夏十
Natto Wada 【市川崑の天才パートナー】
(1920.09.13〜 1983.02.18)
死因?--乙女座
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▲映画監督・市川崑の妻にして、映画&テレビを問わず、全ての市川作品にクレジットされている脚本家・和田 夏十。

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62年5ヶ月と16日の生涯
ハドリアヌス
Pablius Aelius Traianus Hadrianus
【ローマ帝国五賢帝の三人目】
(76.01.24〜138.07.10)
死因?---?座
(2005.04.21更新)
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▲治世の大半を各地の属州の巡察に費やし、同性愛でも有名で、パンテオンを建造したことでも知られるローマ帝国最盛期の皇帝で五賢帝の一人・ハドリアヌス。

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62年5ヶ月と21日の生涯
大原孫三郎
Magosaburo Oohara 【大原美術館創始者】
(1880.07.28〜1943.01.18=明治13年〜 昭和18年)
死因?---獅子座
(2007.01.20更新)
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▲明治から昭和にかけての実業家で、クラレ創業者、大原美術館創始者の大原孫三郎。

◆大原美術館
日本初の本格的美術館として1930年開館。2002年に総入場者3000万人を超えた。同年から高橋秀爾・東大名誉教授が館長を務める。
◆大原美術館
西洋美術館のほか、工芸館には柳宗悦が指導した民芸運動の浜田庄司、バーナードリーチ、富本憲吉、河合寛治郎の作品が展示され、版画室には棟方志功の作品が並ぶ。
東洋館は児島が蒐集した中国、インドの作品を収める。分館は日本の浮画家の作品を中心に展示している。

◆「わしの眼は十年先が見える―大原孫三郎の生涯」新潮文庫 城山 三郎 (著)
下駄と靴と片足ずつ覆いて―その男は二筋の道を同時に歩んだ。地方の一紡績会社を有数の大企業に伸長させた経営者の道と、社会から得た財はすべて社会に返す、という信念の道。あの治安維持法の時世に社会思想の研究機関を設立、倉敷に東洋一を目指す総合病院、世界に誇る美の殿堂を建て…。ひるむことを知らず夢を見続けた男の、人間形成の跡を辿り反抗の生涯を描き出す雄編。
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62年5ヶ月と27日の生涯
エミール・ゾラ
Emile Zola 【小説の黄金時代の最後の巨人】
(1840.04.02〜1902.09.29)
ガス中毒で事故死---牡羊座
(2006.06.11更新)
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▲フランスの作家・エミール・ゾラ。
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