101歳の シンクロニシティ!
- 101歳では---

●「ヒトラーの愛人」「第三帝国のセックス・シンボル」などと呼ばれたドイツの映画監督、写真家レニ・リーフェンシュタール(1902.08.22〜2003.09.08)はガンの手術を受けて療養していたが、101年と17日の生涯(獅子座)。
●東京・銀座のコリドー街でバー「ギルビーA」を半世紀以上にわたって営んだ名物ママ・有馬秀子(1902.05.15〜2003.09.25)も心不全で101年?の生涯(牡羊座)。ともに1902年の生まれだった。
- 2003年末までに百歳以上となる高齢者は20.561人(前年比627人増)で過去最多を更新し、初めて2万人を越えるという。女性が84.6%。ほぼ5年おきに倍増。
(2004.02.12更新)
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101年?の生涯
グランマ・モーゼス
Grandma Moses 【フォークアートの第一人者】
(1860.?〜1961.?)
死因?---?座
(2005.04.01更新)
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▲リューマチで手をおかしくした70歳を超えて、初めて油絵の具を手にし、80歳になって初めてニューヨークで個展を開いたグランマ・モーゼス(モーゼスおばあさん)。

◆彼女の絵の素材は畑での労働風景や収穫、結婚式など、アメリカ東部の農村の生活や行事、自然の移り変わりなど、身近なものから取られていて季節感にあふれている。
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101年?の生涯
アーヴィング・バーリン
Irving Berlin 【彼自身がアメリカの音楽】
(1888.05.11〜1989.?)
長寿を全う---牡牛座
(2005.12.11掲載)
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▲アメリカのポピュラーソングの作詞・作曲家アーヴィング・バーリン。
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101年?の生涯
曽宮 一念
Ichinen Somiya 【日本的フォーヴのひとつの典型】
(1893.?〜1994.?=明治26-平成6)
死因?---?座
(2007.01.13更新)
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・肖像を探しています・

▲日本エッセイスト・クラブ賞を得るなど、文筆もよくした画家・曽宮 一念。

◆曽宮 一念 「裾野と愛鷹」 1964年,37*28.5?,パステル・紙,ローマ字サイン,保存-優 sold

◆曽宮 一念「マルセイユのノートルダム」,1968年,保存-良4.5*16?,パステル・紙,ローマ字サイン,保存-優

◆種子静物 1934年 (昭和9)油彩,キャンヴァス 60.6×72.7cm
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101年と17日の生涯
リーフェンシュタール
Leni Riefenstahl 【ヒトラーの愛人】
(1902.08.22〜2003.09.08.PM10:50)
ガンの手術を受けて療養していた---獅子座
(2009.12.07更新)
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▲ドイツの映画監督、写真家・レニ・リーフェンシュタール。
(イラスト 玉野安実嬢)


◆「私の最大の功績はオリンピックの映像化。最大の失敗はヒトラーと知り合ったこと」
(リーフェンシュタール)
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101年23日の生涯
石井桃子
Momoko Ishii 【「ノンちゃん雲に乗る」の作者】
(1907.03.10〜2008.04.02)
☆老衰にて天寿全う☆ ---魚座
(2008.04.06更新)
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▲「ノンちゃん雲に乗る」などの小説や「クマのプーさん」「ピーターラビット」シリーズの翻訳で知られる児童文学者・石井桃子。

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101年1ヶ月と1日の生涯
ジョージ・ケナン
George. F. Kennan 【封じ込め政策の考案者】
(1904.02.16〜2005.03.17)
死因などは不明---水瓶座
- 1904年米ウィスコンシン州ミルウォーキー生まれ。1925年にプリンストン大学を卒業後、1926年に国務省に入省。外交問題専門誌「フォーリン・アフェアーズ」の1947年7月号に、「X」の匿名で論文「ソビエト対外行動の源泉」を発表。
- 「ソ連指導部が平和で安定した世界の利益を脅かす兆しのあるすべての地域で、しっかりと対抗することを目的とする封じ込め政策」を提唱。共産主義の拡大を防ぐ手段として主張し、その後の冷戦外交の基礎となった。また、論文では、ソ連共産主義の崩壊を予測していた。
- 国務省政策企画部長として、封じ込め政策の具体策作りに当たり、1948年には占領下の日本を訪問。日本の共産化を防ぐことがアジアでのソ連の影響力阻止に欠かせないと判断し、帰国後の報告書で対日経済援助や賠償見直しを提言。
- 1951年から53年までソ連駐在大使を務めた1961〜63年にユーゴスラビア大使を務め、その後はプリンストン高等研究所で研究生活に入り、学究生活。
- ソ連外交などに関する20冊の書物を著し、晩年まで提言を続けていた。 最後の著作は、98歳だった2002年に出版している。回想録でピュリツァー賞を受賞している。
- ニュージャージー州プリンストンの自宅で死去。死因などは不明。
¶:出典・情報源・参考文献・参考サイト:
(2005.04.07掲載)
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▲米国トルーマン政権下で対ソ連「封じ込め」政策を提唱し、米ソ冷戦時代の本格的幕開けを告げる役割を果たした元米外交官ジョージ・ケナン。

▲『アメリカ外交50年』
ジョージ・F.ケナン,著。 近藤晋一, 有賀貞, 飯田藤次 (岩波書店)
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101年1ヶ月と2日の生涯
谷沢三之助
Sannosuke Yazawa 【日本最高齢プロボウラー】
(1903.06.25〜2004.07.27)
☆老衰で天寿全う☆---蟹座
(2004.10.01掲載)
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▲65歳の時にボウリングと出合い、83歳の時には自己最高の285点を記録した谷沢三之助さん。右はかの中山律子さん。
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101年1ヶ月と29日生涯
直原玉青
Gyokusei Jikihara 【現代南画の第一人者】
(1904.08.01〜2005.09.30午前6時47分)
心不全---獅子座
- 淡路島出身。本名は正(タダシ)。戦前から、中国の南宗画の影響を受けて日本独自に発達した南画を学んだ。南画は水墨による線描が特徴で、文人画とも呼ばれる様式。
- 俳人の高浜虚子にも師事し「万物は助け合って平和があり調和がある」とする東洋思想を基に、現代南画を創造した。
- 兵庫県南あわじ市の国清禅寺を復興し住職をする傍ら、多くの作品を発表した。
- 1960年、日本南画院創立に参加。1991年から日本南画院会長。1968年に「相忘」で文部大臣賞、1990年に「迷」で総理大臣賞を受賞。著書に「新しい南画と俳画の描き方」「水墨画入門」など。
- もはや性差を越えた顔立ちである。
¶:出典・情報源・参考文献・参考サイト:
(2005.10.14掲載)
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101年4ヶ月と10日の生涯
有馬秀子
Hideko Arima 【銀座「ギルビーA」の名物ママ】
(1902.05.15〜2003.09.25)
心不全---牡羊座
(2009.05.23更新)
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▲東京・銀座のコリドー街でバー「ギルビーA」を半世紀以上にわたって営んだ名物ママ・有馬秀子。

◆「100歳にもなって、一人で元気に暮らしながら商売をしているというのは、北海道から沖縄まで、
日本全国でも私一人でしょうね」
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101年7ヶ月と7日の生涯
奥村土牛
Dogyuu Okumura 【「大器晩成」の日本画家】
(1889.02.18〜1990.09.25)
死因?---水瓶座
- 日本画家。本名義三。東京生れ。
- 梶田半古、小林古径に師事し、巽画会、中央美術展、院展に出品。古径の新古典主義に見られるきびしい気品を受け継ぎながら、豊かな現実感に満ちた画面を構成。
- 1962年文化勲章。1990年長野県八千穂村に奥村土牛記念美術館開館。代表作『鴨』『鳴門』など。
- 土牛はとても長生きをした。101歳というのは、長寿が多い日本画家の中でも、際だっている。また土牛は、長寿であっただけではなく、その晩年までも意欲的に創作を続けた。代表作の多くが、60歳を越えてから描かれていることからも、まさに「大器晩成」の画家。
- 「鳴門」という作品は、土牛の代表作の一つで、緑色を主体とした画面に、鳴門海峡の渦潮がうねる様が簡潔に描かれている。土牛はこの作品のため揺れる船の上で、まるで記号のようなスケッチを何枚も描いたという。そうして頭のなかに刻みつけた新鮮な印象をもとに、作品にとりかかったという。この作品では、現場でのイメージを核にして、鳴門の渦潮を見た鮮烈な感動を表現している。しかも、渦潮はその迫力を失うことなく描かれ、土牛の確かな写実力を示している。
- 「土牛」という雅号は、土牛のお父さんがつけたもので、中国の詩「土牛、石田を耕す」という一節からとったもの。ただし、雅号では「とぎゅう」と読ませている。土牛とは、古来中国の豊作を祈願する土製の牛のこと。そんな壊れやすい土牛でも、根気よく耕せば、石ころの多い荒れた田を美田に変えることができる、ひとつのことを根気よく続ければ、必ず成就される。「土牛」という雅号には、そんなお父さんの願いが込められている。老年に入ってなお、傑作を生みだし続けた「大器晩成」の画家土牛に、ぴったりの雅号であった。
- 土牛は、子どものころ、おばあさんに連れていってもらってから、「絵の次に好き」というほど、歌舞伎に傾倒していた。
- 土牛が長者番付に名を連ねたのは、1986年のこと。都内の土地を不動産屋にせがまれて手放した。時に97歳の時の言葉「土地でお金が入るなんて恥ずかしい」。
¶:出典・情報源・参考文献・参考サイト:
(2003.10.26更新)
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・肖像を探しています。
▲代表作の多くが、60歳を越えてから描かれている「大器晩成」の日本画家・奥村土牛。

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101年7ヶ月と26日の生涯
エリザベス皇太后
Elizabeth the Queen Mother 【エリザベス2世の母】
(1900.08.04〜2002.03.30)
心臓血栓症---獅子座
- 英国の王族、ジョ−ジ6世の妃、エリザベス2世の母。
- 1923年、当時ヨーク公(Duke of York)であったGeorge6世と結婚。実際の所、夫ジョージ同様王位継承については消極的というより、夫の体を考えて絶対反対であった。
- 異例な王の交替劇で、即位前には殆ど国民にその人物像を知られておらず、強度のどもりという言語障害を持っている事で、周囲からはそれが王としての責務を果たす上での妨げになるのでは、という不安を集めていたGeorge6世を、彼女は内助の功で支え、言語障害を克服させ、国民同様の平和な家庭を築いた。
- 第二次大戦中もドイツ軍の空襲から逃れる為の疎開を拒否し、国民同様にロンドンに踏みとどまり、国民への奉仕と義務を率先し、『無名の王』から『良き王』へと国民の評価を上げた原動力こそがエリザベス王妃だった。
- 彼女の人気は皇太后(Queen Mother)となってからも衰える事がなく、国民敬愛の的となっていた。
- 夫George6世は、1952年2月6日の朝、肺ガン手術後の心臓血栓症が原因で他界。52歳だった。
- 3月30日に101歳で死去したエリザベス英皇太后の葬儀が現地時間9日午前11時30分、ロンドン中心部のウェストミンスター寺院で厳かに営まれた。英国でこれほど厳粛な葬儀が行われるのは、1965年のチャーチル元首相が死亡した時以来だという。
¶:出典・情報源・参考文献・参考サイト:
(2003.08.18掲載)
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▲英国の王族、ジョ−ジ6世の妃、エリザベス2世の母・エリザベス皇太后。
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101年10ヶ月と21日の生涯
三浦敬三
Keizou Miura 【山岳スキーの草分け】
(1904.02.15〜2006.01.05 AM2:32)
多臓器不全---水瓶座
(2006.01.011更新)
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▲日本の山岳スキーの草分け的存在で、百歳を超えてもスキーヤーとして活動していた三浦敬三。
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101歳の エポック!
(2003.07.09)
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