玉川和正+アートランダム 建築・都市研究所art random

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太公望=呂尚
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■行方不明群
山崎北華
阿部 定
ドミニク・シモネ
東京ローズ
沼 正三
力石 徹


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  • ここでは行方不明の人物群に登場してもらいます。
  • 生年月日、没年月日、死因等ご存知方はBBSにて一報を。

    (2004.05.05更新)
                  



行方不明・?年?ヶ月と?日の生涯

山崎北華
Hokuka Yamazaki   【江戸中期の畸人】

(1700.?〜?)
死因?---?座 

  • 「「引用」という精神のはたらきは、幅広くかつ奥行きが深い。本歌取り、下敷き、パロディー、聞き書き、編集など、すべてその核心に「引用する精神」があることが、本書を読みすすむにつれて目から鱗(うろこ)が落ちるように明らかになる。また、こういう例もある。江戸中期の畸人(きじん)文人・山崎北華という男は、自分や他人がつくった物語をそっくり生きてみせる離れ業をやった。松尾芭蕉の『奥の細道』をたどり直してパロディー版『続奥の細道』を書いたのはいいとして、40歳にして自分の葬式を挙行し、その後は「後の北華」と称して自分の「遺稿」をつぎつぎに出版した。そこで勝又氏は、「文化は、一人の生においては、何時だって引用の集積なのだ」と書く」(1)。
  • 「山崎北華の生年:初めてお便りします。早速ですが題名の件、森まゆみさんの「谷中スケッチブック」ちくま文庫に元禄13年(1700年)生まれと記載があります。ご存じかと思いますが、自分で建てた「自堕落先生の墓」が西日暮里養福寺にあります。没年が分からず、貴サイトで見つけることが出来ました。ありがとうございます」(2)。
  • Y.Kuriyamaさん。投稿ありがとうございました。おかげで山崎北華を行方不明群から救いだし85歳?にアップできました。ところでメールで気づいたたのですが、ボクのサイトの山崎北華の没年がイージーミスで1985年になっていましたが、1785年の誤りです。訂正してお詫びします。しかし、この没年の出典がどこだったのか分からなくなってしまいました。なんだか自信がなくなってきたので再調査し、またお知らせいたします。(2004.08.13)
  • 今朝は、お詫びを申し上げなければなりません。山崎北華の没年を調べ直したのですが、手持ちの文献にも、どのサイトにも見つかりませんでした。ではなぜ1985年と記載したのか?更新記録を遡って調べました。すると、かつて、カルヴィーノ(1923.10.15〜1985.09.19)の生年月日が分からなかったので行方不明群に入っていました。その時点ではイタロ・カルヴィーノ(?〜1985.?)だったのです!。その後北華をアップした際、カルヴィーノのフォーマットを使ってコピー&ペーストをして作成したため、ボクの人為的ミスでそのまま山崎北華(?〜1985.?)と掲載されてしまったのでした。したがって、山崎北華は(1700.?〜?)ということに現時点ではなってしまいます。Y.Kuriyamaさんには投稿を頂いた上、逆に御迷惑を掛けて申し訳ありません。心からお詫びします。これからも北華を注意して見ていきますので、没年を発見次第お知らせします。これに懲りず、又覗いてください。(2004.08.14)

    ¶:参考文献・参考サイト:
    (1)読売新聞2004.01.25朝刊 勝又浩著『引用する精神』の書評湯川豊 より引用。
    (2)投稿者:Y.Kuriyama 投稿日: 8月13日(金)11時16分48秒
    (3)「谷中霊園と周辺」

(2004.08.13更新)



?肖像を探しています。

▲江戸中期の畸人、文人・山崎北華。

 


◆養福寺 荒川区西日暮里3-3-8
JR西日暮里徒歩5分
養福寺は真言宗豊山派の寺院で、補陀落山観音院と号し、湯島円満寺の木食義高(享保3年没)により中興。『梅翁花樽碑』『雪の碑』『月の碑』などからなる『談林派歴代の碑』や江戸四大詩人の一人『柏木如亭の碑』や自堕落先生こと山崎北華が自ら立てた「自堕落先生の墓」などがある。---(3)。

 

行方不明・?年?ヶ月と?日の生涯

阿部 定
Sada Abe     【阿部定事件の犯人】

(1905.05.28〜?)
死因?---双子座

  • 東京市神田区新銀町(現在の東京都千代田区神田多町)出身。
  • 阿部定事件による裁判の結果、事件は痴情の末と判定され、阿部は懲役6年の判決を受けて服役、1941年に「皇紀紀元二千六百年」を理由に恩赦を受け出所している。
  • その後は市井で一般人としての生活を送っていたが、1971年に身内から忽然と姿を消し、以降の消息及び生死は不明となっている。
  • 1971年(昭和46年)、千葉県市原市の「勝山ホテル(現・廃業)」で、「こう」という名前で働いていた。
    ここでは、65歳という高齢にもめげず、若い男に金品を貢いでは気を引いていたそうであるが、置手紙を残したまま、姿を消して、以後、消息を断っている。
  • その後、ある老人ホームに入っているらしいという情報もあるとかないとか。現在は生死不明だという。
  • 阿部定事件とは仲居であった阿部定が1936年5月18日に東京都荒川区尾久の待合茶屋で、性交中に愛人の男性を扼殺し局部を切り取った事件。事件の猟奇性ゆえに、事件発覚後及び阿部定逮捕(同年5月20日)後に号外が出されるなど、当時の庶民の興味を強く惹いた事件である。津山事件の犯人が興味を示していたと言われている。現在でも日本では多くの人が「阿部定」という単語を聞けばこの事件を想起できるほど、知名度は高い。また、石井輝男の『明治・大正・昭和 猟奇女犯罪史』(複数のエピソードの一篇、阿部定本人も出演)、大島渚の『愛のコリーダ』、田中登の『実録阿部定』、大林宣彦の『SADA』など、数回当事件を題材にした映画があり、特に『愛のコリーダ』はヨーロッパでの評価が高い。
  • 「青年将校たちが帝都で叛乱を起こし虚しくも散っていった動乱の昭和十一年。その三ヵ月後の五月十八日、東京市荒川区尾久町(現・東京都荒川区東尾久)の待合「満左喜」で、細紐で首を絞められた男性の死体が発見された。頭部を西向きに横臥していたその死体は、以後今日まで、さまざまな文学者や映画・演劇関係者などの関心の的となっていく。それは、その被害者・石田吉蔵(当時四十二歳)の性器が根もとからすっぱり刃物で切りとられていたという前代未聞の猟奇的な犯罪だったからである。明らかに七日間の長逗留中、間断なく情事に没頭していたと思われる痕跡の残る布団の敷布には、性器切断の折りに滴った血で書いたのだろう、「定吉二人キリ」という鮮血によって書かれた血文字がにじんでおり、また男の死体の大腿部にも「定吉二人」と血文字が書かれ、さらには、左腕にも「定」の一字が牛刀で刻まれていた。まさに確信犯ともいうべき大胆さで犯行の痕跡を残した阿部定(当時三十一歳)は、切りとった男性器を懐に入れ愛でながら逃亡し、最後には潜伏先の旅館で高輪署に逮捕されるが、連行されるその姿を写した報道写真には、恍惚の表情さえ漂っていたかに見えた。しかし、果たして阿部定は希代の“妖婦”だったのだろうか。予審調書という、ある意味で殺伐たる文体を持つ事務的でステロタイプの文中からにじみ出てくる阿部定の人生は、しかし、少女期に処女を失ったことを契機に、苦界の深みにはまっていく悲しい女の性と、常に究極の愛を求めていった女の姿が浮かんでくるようだ。昭和初期という漠然たる不安の時代を、女性はどのように生き抜いたのか。その最も鮮烈な姿が、そこに活写されている、といったら過言だろうか」(1)。
  • 「小生、思いますに、これは猟奇事件には違いありませんが、本来、セクシュアリティには人を困惑させたり、危惧させる側面があるのは事実です。興味本位に、下半身のことで人を攻めることはしたくありません」(2)。
  • 坂口安吾の阿部定評です。昭和22年、安吾は模範囚として刑を終えていた定と月刊誌「座談」(文芸春秋社)で対談している。〈下町育ちの女で、スレたところがなく、気立てがよく一番女らしい女〉と絶賛しています。また、安吾が犯罪学者、浅田一博士にだした手紙でも、〈マゾヒズムのクライマックスで吉蔵は死んでいった。二人だけの至高の世界での愛情の完結みたいなもの。犯罪性は全く無い〉と肯定し、〈最愛の形見として一物を切りとることも、最も女らしい犯罪で、純情可憐である〉と八百屋お七以上の、日本の恋愛史上最高のヒロインと評価しています。前坂俊之著「ニッポン奇人伝」を参考にしました」(3)。
  • 「生きていれば吉蔵は決して私だけのもので はない。死なしたからこそ私のものなのでご ざいます」(『阿部定手記』)

    ¶:参考文献・参考サイト:
    Doblog - 〜イギリスの中の三線の響き〜 -
    阿部定事件
    阿部定事件 - Wikipedia
    (1)「阿部定0
    (2)投稿者:ユリウスさん 2006/ 8/31 11:18:33(木) [183]
    (3)投稿者:ユリウスさん 2006/ 9/ 5 20:38:18(火) [219]

(2006.09.06更新)




▲東京都荒川区尾久の待合茶屋で、性交中に愛人の男性を扼殺し局部を切り取った阿部 定。逮捕連行される阿部定はなぜか微笑みを浮かべていた。






◆石田吉蔵と阿部定が逗留していた待合「満左喜」の部屋。


◆実録 阿部定 出演: 宮下順子, 江角英明 監督: 田中登

行方不明・?年?ヶ月と?日の生涯

ドミニク・シモネ
Dominique Simonnet

(?〜?)
死因?---?座

  • Think Grobaly Act Locally
  • 「すべてのものは再利用できる。自分たちの思想さえも、自分たちの思想こそ」(シモネ)。
  • 「すべての情報も再利用できる。自分たちの訃報さえも、自分たちの訃報こそ」(玉野安美)。
  • 生年月日、没年月日、死因等知ってる方はBBSにて一報をお願いします。もしも、まだご存命だったらごめんなさい。
  • 「ドミニク・シモネは、フランスの週刊誌「レクスプレス(L'EXPRESS)」の副編集長です。生死に関しては確認できませんでしたが、2005.1月号に記事を載せてましたので、ご存命ではないかと思われます」(1)。

    ¶:参考文献・参考サイト:
    (1)投稿者センサー石畑さん 2005.0 1. 12(水) 11:25 PM

(2004.08.26更新)



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行方不明 ・?年?ヶ月と?日の生涯

東京ローズ
TOKYO ROSE      【伝説のストリッパー】

(?〜?)
死因?---?座

  • 伝説のストリッパー。
  • 「マタ・ハリとかジプシー・ローズとか、登場したこの際、「東京ローズ」もバイボに納めたい。ひょっとしてまだ生きているか?」(1)。
  • そのプロフィール等、まったく分かりません。ご存知の方は、BBSにてご一報下さい。まだご存命かもしれませぬ。
    ユリウスさんそんなわけで行方不明群に入れました。「かぶりつき」の思い出がありましたならご一報をお願いします。

    ¶:参考文献・参考サイト:
    (1)投稿者:ユリウスさん 2005.06.24(Fri) 23:15[451]

(2005.07.11掲載)



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▲伝説のストリッパー・東京ローズ。

行方不明・?年?ヶ月と?日の生涯

沼 正三
Shouzou Numa   【形而下的作家】

(1926.03.19〜?)
死因?---?座

  • 福岡県出身。『家畜人ヤプー』は埴輪雄高の『死霊』とならんで戦後文学の最大級の観念小説。『死霊』が形而上学的話題に終始するのに対し、『家畜人ヤプー』は形而下的細部のみに充ちている。
  • 「『家畜人ヤプー』のあとがきに、沼正三が終戦の時外地で捕虜になり、白人女性から被虐的性感を仕込まれ、その個人的体験が白人による日本征服という『家畜人ヤプー』の観念を育てたとある。だが『遺言』には捕虜云々の告白が作り話であることが示唆されている。私はこの虚構性の貫徹にむしろ感動を覚える。」(中条省平)。
  • マゾヒズム=人間究極の逆説:女性への無条件の崇拝を通じて、人間としての自己を無化し、宗教的な感動にまで至る「人間否定」の情熱なのである。ここで形而下は一挙に形而上に逆転する。
  • 生年月日、没年月日、死因等知ってる方はBBSにて一報をお願いします。
  • 「沼正三氏は、1926.03.19 福岡県出身で、ご存命です。最近では、2003年に「SF JAPAN」という雑誌にインタビューが掲載されているそうです」(1)。

    ¶:参考文献・参考サイト:
    (1) 投稿者センサー石畑さん 2005.01.12(水) 11:25 PM

(2005.01.13更新)



?肖像を探しています。

▲『家畜人ヤプー』で知られる沼正三。

行方不明・?年?ヶ月と?日の生涯

力石徹
Tooru Rikiishi  【矢吹丈の終生のライバル】

(?〜?)
試合直後に急死---?座

  • プロフィールは謎に包まれ、生年月日も出身地も不明。
    「あしたのジョー」の主人公、矢吹丈のライバル、力石徹はとても人気があり、お葬式まで行われた。
  • 東光特等少年院で、ブタに乗って脱走するジョーをカウンター一発でしとめたことから、ジョーとの因縁が続くことになる。
    元々、日本フェザー級6回戦のプロボクサーだったが、客のヤジにかっとなって怪我を負わせたことから、ボクシング協会から追放処分を受けた。
  • 同時に少年院入り。少年院でジョーとの初戦でめった打ちにするも、ジョーのクロスカウンターでダブルKOという結果に終わる。
  • ジョーがバンタム級で活躍すると、力石も過酷な減量を行い、リミット一杯でジョーとの因縁の試合に臨んだ。ラウンド途中のテンプル強打と、ダウンした際のロープへの後頭部強打で脳震盪を起こし、それと過酷な減量が重なって、試合終了後にはジョーとの握手を交わす寸前で倒れ、息絶えた。結果は力石のKO勝ちであった。
  • 力石の破天荒な生き様から魅了されるファンも多い。大ファンであった寺山修司により、前代未聞の「力石徹葬儀」も行われたほどの人気ぶりである。1970年3月24日。午後。文京区音羽にある講談社の講堂で、漫画「あしたのジョー」の中で、主人公ジョーのライバルとして絶大な人気を誇ったキャラクター、力石徹の葬式が行われました。
  • 「『あしたのジョーの方程式』島本 和彦 (著), ササキバラ・ゴウ (編集) :---なぜジョーは力石にあんなにも対抗心を燃やすのか?逆に力石は無理な減量をしてまでジョーと戦おうとするのか?なぜ肝心な敵にジョーは負けるのか?ホセと戦う意味は?ラストシーンの「真っ白」の意味は?などなど---」(1)。
  • 「生原稿発見と言う特ダネと共に放送された此の番組も、中々の見応えが有りましたね………。こちら」(2)。

    ¶:参考文献・参考サイト:
    力石徹とは - はてなダイアリー
    (1)「Amazon.co.jp: あしたのジョーの方程式: 本: 島本 和彦,ササキバラ・ゴウ
    (2)投稿者:Thuri-Tungさん..2007/ 8/ 7 09:10:04(火) [2128]

(2007.08.06更新)




▲『あしたのジョー』では、ジョーの終生のライバルとして登場し、試合直後、無理な減量や試合中にロープで頭を強く打ったことにより、急死した力石徹 。





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  • ---------
(2003.08.05)

??? 00-01-02-03-04-05-06-07-08-09

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